↑五重塔を案内してくださった興福寺の辻明俊さん
7月と9月に開催し、ご好評をいただいた世界遺産・興福寺(奈良市)の「早朝貸し切り拝観」第3弾を2021年11月6日(土)に開催しました。今回も定員いっぱいの方にご参加いただき、特別公開中の国宝・五重塔の初層などをご案内いただきました。
この日は、興福寺執事の辻明俊(つじ・みょうしゅん)さんがご案内くださいました。
午前7時45分に国宝・三重塔に集合。平安末期から鎌倉初期に建てられ、北円堂と並び境内で最も古い建造物です。「全国に国宝の三重塔はいくつあるかご存じですか」。答えは13。奈良では薬師寺や法起寺、当麻寺などが知られます。
↑優美な姿の三重塔
辻さんは塔の由来について解説。もともとは釈迦の遺骨を納めるお墓で、インドではお椀をひっくり返したような形をしていました。中国、日本と伝わってくる中で現在の形になったといいます。「この三重塔は繊細で優美、女性的な姿とでも言いましょうか」。内部には弁才天像が安置され、年に1度、7月7日だけ開扉されます。
↑南円堂
階段を上がり、南円堂へ。境内地図を見ながら、辻さんは「南大門を挟んで反対側には五重塔があって、伽藍の配置としてはこの場所に対になる五重塔があってもおかしくない」。しかし実際に建てられたのは八角形の円堂。「それを勧めたのは空海さんだと言われています。弘法大師は興福寺にも関係の深い方です」
興福寺は度々火災に遭い、多くの建物が焼失と再建を繰り返しています。辻さんは「再建時にずっと守られてきた三つのポイント」を紹介してくれました。
・場所を変えない
・規模を踏襲
・古様の建築技法を堅持
しかし南円堂は江戸時代に再建された時、正面に唐破風(からはふ)のついた向拝が作られたそうです。
ここで辻さんは2018年にあった大阪府北部地震の際のエピソードを紹介。「南円堂は小屋裏から砂埃が落ち仏具がズレるなどしていましたが、北円堂はまったく何事もなかったかのようでした」。後日、東京大学大学院に振動測定をしてもらい、北円堂はコマのように回る(円運動)構造になっていることが分かりました。ただ南円堂は向拝がブレーキとなってうまく回れず、揺れの影響が大きくなったと考えられました。「伝統的な和様を守ることにも大きな意味がある。それをつなぎ、後世に受け渡していくことがとても大切です」と力を込めました。
↑境内を案内する辻明俊さん。後方は中金堂 いよいよ五重塔へ。来年度から120年ぶりの本格的な修理が始まります。「詳細は調査をしてから決めますが、着工から竣工までは10年以上かかるという人もいます」。2023年ごろからは素屋根に覆われるそうで、この姿が長く見られなくなるそうです。
↑国宝・五重塔。数年後には素屋根に覆われるそうです
五重塔は室町時代の再建ですが、やはり古い建築技法を伝えているそうです。「先ほどの三重塔もそうですが、中世になると初重の天井上の柱を立てる塔が出現します。しかし五重塔は柱が地面についている。本来の様式です」。二重から上は吹き抜けになっており、各層が柱に固定されていないのも特徴です。「木材同士が切組や単純な釘打ち程度で、緊く結ばれていない柔軟構造だから、揺れに強いのです。雷など弱点もありますが、優れた構造であることは600年近く残っているこの建物自体が証明しています」
↑五重塔の初層で見ることができる心柱。地面にしっかり立てられています
柱の径はおよそ83センチ。今回は心配ないと思われるものの、「もし部材そのものを新しくするとなると、国内ではもう手に入らないかもしれない。今後は、森林資源の育成も考えていくことが大事になってきます」と話しました。
受け継いだものを未来に受け渡してく大切さ、そしてその大変さを学ぶことができた時間となりました。
↑五重塔初層には阿弥陀三尊像(西)、弥勒三尊像(北)、薬師三尊像(東)、釈迦三尊像(南)が安置されています
午前9時に解散。秋の爽やかな晴天に恵まれ、参加者の皆様には充実した時間を過ごしていただけたのではないかと思います。
辻さん、そしてご参加くださった皆様、ありがとうございました!
第4弾も検討中です。ご期待ください!
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